【三重県】鈴鹿スカイラインの「旧」を探索ツーリング

夜明け前の「道の駅 針テラス」からスタート

 

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名阪国道を東へ走らせ、「向井IC」付近の旧25号線から日の出を拝みます。

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今回はでVTRで出動。このVTRはジムカーナでも活躍するほど、旋回能力の高いマシン。パワーは無いが操る楽しみを感じることができる楽しいマシンです。

そして到着、鈴鹿スカイライン

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以前来た時は雨で景色も何も堪能できなかったんですよね…

今日は晴天! 景色もいい!

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このアングル、九十九折がたまりませんね〜(笑)

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道路脇のPAでモーニングコーヒーで一服。

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今回、鈴鹿スカイラインに来たのは理由があります。
前回の雨の中を走った時に見つけました…

この道路標示…

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削り取られた文字は…
うっすらと「40高中」と読めます。
ん~~、画面では厳しいか(苦笑)

鈴鹿スカイラインは、その「40高中」道路だったんです!

「40高中」何それ?

平成4年の道路法改正まで、車両は「高速車」「中速車」「低速車」と区別されていて「40高中」とは、高速車と中速車は40キロ制限という意味です。

ちなみに低速車はそもそも30キロ制限なので40キロ制限道路では表示されません。

そういう意味合いで、路面に標示されており、改正後~現在に至ってはもう見ることはありません。

僕を含め、その道の人達が血なまこになって探してる「40高中」道路。
このサイトに詳細が載っていますよ。

「40高中」旧道に残る最も美しいもの|roadjapan.info

今日…
なんと!!ペイントが残っている「40高中」を発見!

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一人、ヘルメットの中で絶叫しました(笑)

鈴鹿スカイライン、恐るべし!
何故残っているのか…
あくまでも憶測ですが、鈴鹿スカイラインって、災害で不通になった期間も多くあります。
道路管理者は復旧を優先させるあまり、本来削り取られるはずの道路標示までは気が回らなかったのかなと…

思わぬ発見にドキドキしながら(笑)、次の目的地に向かいます。

国道1号線を探索

鈴鹿スカイラインからほど近い、「国道1号線」

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滋賀県と三重県を繋ぐこの道路は関西人には馴染みが深い路線だと思います。

そして、お馴染みの分岐点…

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この分岐点からが、この道路が面白いんです。

鈴鹿トンネル

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あっという間に通過できる短いトンネルですが、それだけではもったいない。
このトンネルの三重県側の右脇からトンネル上に登ります。

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いい景色♪

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景色はまぁいいとして、実はこのトンネルの上(裏側)には大正時代の鈴鹿隧道の遺構がひっそりと残されています。
解体を免れたピラスター(柱)

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当時の鈴鹿隧道の写真です。

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当時の隧道出口のカーブ、なかなかの急カーブですね。

取り残された道

そして、分岐されたこの道路には、分岐前の道路脇のスペースを利用した広場がこれまたひっそり残されています。

道路内側に、所々こういう道が…
現在は本線とは行き来できなくなっています。

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中に入るとこんな看板が。

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建設省…今は運輸省と合併して国土交通省です。

看板を見ると5ヶ所ほど、広場があるのがわかります。

改めて見ると、現道路脇に小さな廃道があります。

字体に懐かしさを感じます。

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この看板も同じく、字体がいい!

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他のスペースには、懐かしのコンクリのガードレール。

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藪に埋もれてる旧道…

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大正時代の第一鈴鹿橋

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今はもうう使われることのない東屋。

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他にもこの場所はワクワクさせてくれそうな場所がありそうです。

もっと探索したいけど、次に通る時へのお楽しみに…
今回の探索はこのへんで。

もしよろしければ、皆さまもこの分岐個所の廃道、旧道の探索をされてはいかがでしょうか。

ちなみに、私自身「道路」に関して興味深々。この平沼義之さんの著書「日本の国道120万キロ台研究」で勉強しました笑

興味のある方、いかがでしょうか。Amazonで販売していますよ。

 

 

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