【滋賀県・福井県】廃道、廃村をめぐるツーリング

滋賀県北部からスタート

今回ご紹介したいツーリングコースはかなりマニアックなコースです。実際に行くのはちょっと怖いなぁと思うかもしれません。

こういう世界もあるのかと、頭の片隅に置いていただけたら…そんなコースです。

ではレポスタートです。

ツーリングスポットとして名高い、滋賀県の「メタセコイア並木」

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ここから数キロ北上、滋賀県道533号線に入ります。

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道中のガードレールも朽ちてます…

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在原集落に到着

懐かしい景観が観光地化されるでもなく、有りのまま残る湖北の隠れ里。

もっと暗く閉ざされた横溝小説のような集落を連想してたのですが、以外と広く盆地のような感じです。

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しかもその広い盆地に田畑が一面に展開され、実り多き土地と見えます。
また、茅葺屋根も残っています。

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この集落では、若者は次々と出て行き、家屋はくずれ、せっかく建てた学校(平成元年と礎石に彫られてる。)も、過疎高齢化により、10年程前に築後わずかの期間で廃校となったそうです。

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この綺麗な鉄筋校舎が、村民の「叫び」を代弁してるような・・。

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この茅葺屋根とポツンと残された学校が見たくてこの地まできました。

のどかな集落にも、その裏ではいろいろなドラマが有るんだろうなぁ。

うん、来て良かった!

さぁ、次に向かいます。

再びメタセコイア並木を通り抜け、国道303号を北上し、滋賀県と福井県の県境付近に有ります、「寒風トンネル」

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このトンネルの旧道に行きました。これがまた素晴らしく味わい深い場所…。

そこは現世から取り残された地

トンネル脇の旧道入口から入ると…

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もう、この雰囲気に圧倒されます。

途中、なんと、文政13年( 1830年)の年号が入った道祖神碑が鎮座。驚きです!

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そして、振り返ると「落石注意」の標識が哀愁漂わせポツンと…

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そして、暫く進むと…

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廃スカイラインが…。

これだけでもかなりのインパクトがあります。

その先に進むと、更なる衝撃が!!

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立ち入りを規制するこの看板ですが…

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なんと、県による堂々の「廃道宣言」。
あえて「廃道」と県が認めるということは、未来永劫この道は何もしないということ?

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おまけに「廃」の字…ヤマイダレになってるし…

これもまた「謎」です。

この看板の下には何と!

懐かしい「ファンタ」の瓶が(苦笑)

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そして、またまたその近くに…

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骨が…多分、獣の骨でしょうね。

この「旧寒風橋」の朽ちようも素晴らしい。

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橋を渡って奥に進みます。

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もうグチャグチャ…

そして崖崩れで行き止まりに。

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ちなみに、この崖崩れの反対側に徒歩で行きました。

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もう、崩れまくりでした。

現在の「寒風トンネル」は1980年竣工。

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と、いうことは…

廃道後、40年経過?

いやぁ、この廃道は良かった!

いろいろなエッセンスが凝縮されていましたね。

アプローチもしやすいので是非とも行ってみてくださいね(爆)

ランチで息抜き?

そして、このまま北上し、小浜市のランドマーク的存在「フィッシャーマンズワーフ」に到着。

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あえてここでランチは食べません。
この近くの「こだま食堂」にて。

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ここは名物の「わらじトンカツ」が有名で、ツーリングライダーも沢山訪れています。

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あ~~、腹一杯です。
これで次に向かう途中で遭難しても餓死は無いな(笑)

はち切れんばかりのお腹を揺らしながら、国道162号を南下。

福井県のディープエリアへ

福井県道35号を入ります。

が…

普通の田舎道から萌え~~な道に…

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これ位ならまだいいけど…

この先は地図にも載ってないゲキ悪路…

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目的地の場所も、はっきりとわからない状況で、走りつづけます。

本当にこの道で合ってるのか?
不安を抱えながら10キロ程度走り…

ついに現れました。

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永谷集落…いや、今はもはや「永谷廃村」と言うべきですね…。

ここは、福井県と京都府の境界近くのとても山深い場所にあります。
今から50年も前の1965年に、関西電力が計画した京都府と福井県の両府県にまたがる100万キロワット級の揚水発電所のダム予定地とされた場所です。

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ダム予定地となるこの集落は半ば強制的に立ち退きとなるのですが、地元住民の間でも推進派と反対派に分かれて20年間も争いが続いたそうです。


最後まで残ったこの地区は村を二分する行政の強引なやり方に反発し、9戸のうち4戸が最後まで抵抗したようですが、ついに1985年、集落を捨てざるをえなかったのです・・・

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しかしその後、原生林の残る貴重な環境を破壊する行為だという地元住民と、ダム予定地が京大の演習林内に入っていた為に京大からの強い反対運動が起こり、結局はダム計画が白紙となったのです・・・

ダム計画が白紙となっても、一度離れたこの集落には住民が戻ることがなかったようで、今は数戸の民家や神社、寺が廃墟としてひっそりと残っているのです。

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「関電の電発に反対」
「部落を割る関電電発に絶対反対」
この集落を物語る看板が今でも残されています・・・

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山深いこの集落まで道路が出来て喜びに沸いたときもあったのでしょうか…

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残っている遊具が一層寂しさを・・・

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廃村内を散策します…

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何故か、家屋内に入ろうと思う気持ちにはなれず、外から眺めるだけになりました。

そして、なんと…

1975年の「明星」が野外に落ちてました!

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しかし、野外にあった割には綺麗過ぎる…
ページもくっついてないし…。

おそらく、この数日内に誰か家屋内から持ち出したと推測します。

平々凡々な毎日を送っていますがそれを幸せに思い、こうした現実があるという事も忘れないようにしたいと思います。

今回の廃道や廃村に訪問することへの賛否はもちろんあります。

特に廃村に関しては不用意に住居に入ると不法侵入の可能性があるので、見るだけにしておく方がいいのでしょうね。

日本の繁栄の裏にもこのような場所が有ると言うことを知っておくことは大事だと思いました。

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